EP7: 激走佐渡島(後編) 登頂! 小木坂160(ワンハンドレッドシックスティ)
前回までのあらすじ
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118㎞地点・水津AS。ここでもしっかりストレッチ。同じようにストレッチをしている人が何人かいた。そのうちの一人はヘルメットのシールに大きく赤で✖が。
僕はこれをリタイアのマークだと勘違いしていたが、正しくはスイムスキップのマークである。
サロンパスもして13時出発。ここのASの制限時間は13時35分なのでかなりギリギリである。エイドのたびに長々休憩していれば当然だが、脚が動かないよりはマシという判断。
とはいえやっぱりまずいので、これ以降のエイドでのストレッチの時間は短くした。
両津を過ぎて小佐渡に入ってからは二回ほど小さなアップダウンがあったがここは難なくクリア。回転数が上げられなくてもなんとか坂は登れた。
水津から小木まではほとんど平坦か、ちょっとした勾配で少し長い程度の坂が何本かあるぐらい。
138㎞地点・多田WSと148㎞地点・赤泊ASではストレッチを早めに切り上げて5分ほどで出発。
多田WSでボトルをボトルキャッチャーへ投げようとしたところ、「もう配れるボトルがないのでボトルは捨てずに持っておいてください!」と叫ばれた。
もうそんなに後ろのほうまで来てしまっているらしい。でも後のエイドではボトルをもらえた。
ここではストレッチ中に移動マーシャル(審判員)の方に話しかけられて少し雑談をしたのだが、
「まあこの後は小木の坂とそのあとの〇〇(なんて言っていたのか覚えていない)の坂が長いぐらいですからねえ」という衝撃発言(僕は小木が最後だと思っていた)。
「そうっすね~」なんて言っていたが内心では「うん????????」という感じだった。そのあとこのマーシャルの方とは何回か遭遇した。
赤泊ASへの到着は14時10分ごろ。やはり何人か休憩している。ストレッチ中に気づいたが、隣で顔にタオルを乗せてあおむけに寝ている女性の選手は過呼吸気味だった。
レース開始からは8時間が経っている。暑さはそこまできつくなかったが、日差しは強かった。このエイドの関門は30分後。
おそらく彼女がレースに復帰するのは難しいだろう。マジのリタイア者を前にして、ここにきてリタイアという言葉が重くのしかかってくる気がしていた。
ここにくるまでにも、なんどかリタイアした選手を回収するバスやリタイア者のバイクを回収するトラックと何度もすれ違ったがそのたびに、
「ここでリタイアすれば楽になれるんだろうなあ」などと冗談めかして考えていたが、これ以降は回収車とすれ違うたびにリタイアへの恐怖を振り払うのに必死だった。
時間にも余裕はなくなってきている。
しかしこのレースのために20万円以上(エントリー4万、ツアー11万、新幹線2万、そのたもろもろで3万は軽く超えるであろう)もかけてきているのだ。それに完走できなけばトライアスロン部の皆をはじめいろんな人に顔向けできない。
絶対にリタイアはできない。
161㎞地点・小木ASに到着したのは14時半を少し過ぎた頃だった。
次の関門をスタッフの方に尋ねると、「8㎞先で15時15分ですけど、そこまでずっと山登りなので......ま~ちょっと厳しいかもしれないですねえ」。
そう、小木ASから169㎞地点・羽茂ASまでの8㎞が「小木坂」なのである。僕はここで初めて知った(きつい坂をサッと登って終わりだと思っていた)。
しかし厳しかろうがなんだろうが行くしかない。お礼を言ってストレッチをしているとやはり次の関門を気にする他の選手と同じスタッフの方との会話が聞こえてきた。
僕の時と同様「厳しいと思います」と言われた選手は、「そうですよね~......うーん、リタイアで!」。正直、どんどん現実度を増す「リタイア」「タイムオーバー」への恐怖で、頭がどうにかなりそうだった。
半ば逃げるように小木ASを後にし、小木坂を登り始める。最初の勾配がきついが、これは前情報通り。このあとは緩い上りになる。
ダンシングでスピードを取り戻して一気に登ってしまおうとも考えたが、左の太ももから「コンニチハ」という声が。
右膝を無意識にかばい続けてきて左脚に変な負担がかかっていたのだろう、左の太ももは小佐渡の手前ぐらいから攣りそうな張りをしていた。
ずっと水分補給を続けて攣るのはなんとか避けられていた。しかしダンシングはやはりまずい。仕方なく、10km/hぐらいでのんびり登ることにした。
上り、平坦、また上りと繰り返してだいぶうんざりしてきたところで、最後のASである羽茂ASに到着した。残り20㎞。
羽茂をでて、追加で登った後は一気に下り。ブレーキングをしながら慎重に下るが、それでも50㎞/hぐらいのスピードになるので気分爽快。
そしてまた上り。これがナントカの坂か。
このナントカの坂も上りと平坦の繰り返し。いつまでも下りにならないのでいい加減にしろ! とか思っていた。というか口に出していた。
そして下りは気分爽快。膝もそろそろやばいしこの坂終わったらゴールだといいなあ、などと考えていたが、下りが終わったところでここまで17回見てきた
(佐渡島の地図)
180㎞
スタート地点まであと10㎞」
の看板。現実は甘くない。
残りの平坦区間を抜け、バイクも残り5㎞。ここからは県道を外れ、路地を進む。
膝ももう限界だった。痛みでほとんど力の入らない右足のビンディングを外し、攣るのを覚悟でほとんど左脚だけでペダルを回す。
痛みに耐えるために「右膝耐えてくれ~」とか「絶対完走してやる~」と泣きそうな声を出し続ける。
発声していないと本気で心が折れそうだった。
何度も「バイクを降りた瞬間に右膝に力が入らず立てなくなってリタイア」という嫌なヴィジョンが脳裏をよぎる。
レース前は冗談めかして「レース中100回ぐらい死にたくなるんだろうな~(笑)」なんて言っていたが、100回どころではない。ここまで右足でペダルを踏むたびに死にたくなっていた。
バイクゴールにつく頃には立てるかどうかという恐怖と不安でほとんど泣きそうになっていた。
幸いなことに、バイクを降車して地に足が着いた瞬間に崩れ落ちる、なんてことはなく走り出すことができた。
まだいける。まだ走れる。
バイクラップは8:24:43、バイク順位は866位。サイクルコンピュータに残っていた記録では実装時間が7:38:??ぐらいだったので、停車時間が50分弱あったことになる。
膝の湿布を貼り替え、16時15分、ランスタート。
つづく