僕が宇宙人になるまで / 2019 第31回佐渡国際トライアスロンAタイプ“感想”記

2019年9月1日に開催された佐渡国際トライアスロンAタイプの出場と完走の記憶です

おわりに

当初の予定を外れ、長々ともったいつけたような文章になってしまいましたが、ここまでお付き合いくださりありがとうございました。

正直「これから佐渡に出場する人のために~」などと謳った割には大した情報がなかったなあという反省はしています。

最後に完走してみての感想、というよりは反省をいくらか述べてこの完走記録を〆たいと思います。

 

まずはスイム。これは申し分なかったかなと思います。とはいってもやはりオープンウォーターでまっすぐ泳げない、という今までずっとあった課題が今回は特にひどかったのですが。

次にバイク。これはランもそうですが、正直仕方なかったのかなという気持ちが大きいです。ですが膝に痛みが出ていたということはおそらくフォームが悪かったということ。特に今回サドルの高さを気持ち低めにしていたので、そういったところから悪い影響が出てしまった、その結果としての膝の痛みだったのかもしれません。あるいは股関節周りの固さ。この辺りは今後の課題です。

ラン。やはり止まりすぎでした。必要以上に脚の痛みにビビってしまっていたかなあという気がします。単純に足が重くなっていたこと、水分の貰い方なども含めてこれも今後ロングディスタンスやウルトラマラソンに挑戦する際の課題です。

補給に関して。特に細かい部分でのカロリーや栄養を気にして補給計画を組んでいたわけではないのですが、まあ結果としてはうまくいっていたのかな、と。脚周りの動きが悪かったのはともかくとしてもエネルギー切れにはならず、かといって胃が物を受け付けないということにもなりませんでした。ただ、カフェインはもっと摂っておければよかったのかなと思います。あとバイク中に一つゼリーを取り落としたのはメンタルにきました。

レース中のメンタル。想定外の事態があったとはいえ、ちょっと崩れすぎだったかな? と思います。初挑戦だから、と言ってしまえばそれはそうなのかもしれませんが。

コンディショニング。これは最悪ですね。膝は別にして、やはり2日前に夜更かしというのはよくなかった。そしてクエン酸も。コンディショニングということに必ずしも直結しませんが、新しいことを直前に試すのは避けたほうがいいというのは当然のことでした。

レース前の練習。これは圧倒的に足りていませんでした。8月だけで言えばバイクでの総走行距離は200㎞弱、ランの総距離も100㎞に達しません。スイムの総距離も10000m行くかどうか。夏バテ夏風邪いろいろありましたが、やはり予定の組み方が悪かったと思います。インターバル練習やロングライドなどもできなかったのは痛かったです。

最後に、全体を振り返って。616位という結果は悔しいもので、自分の中では当然満足できるものではないです。15時間9分という情けないタイムも、「ドラマ性がある」だとか「完走したことがすごい」という言い訳ではごまかしきれません。しかし膝の痛みがあったとは言うものの、それがなかったとしてどうなっていたかというのもあまり自信がない。ただ、今回の結果を悔しいと思えるだけの闘志が自分に残っていることには安心しました。

見えている課題は多いです。そしてこれらはいままでずっとあった課題でもあります。

次にロングディスタンスに挑戦できるのがいつになるのか、今の僕にはわかりません。もしかしたらそれは来年かもしれないし、逆に10年以上先かもしれない。その時になってまた後悔しないように、この完走記録は自戒としたいと思います。まずは股関節のストレッチから。

 

最後になりますが、今回に限らず佐渡国トライアスロンは地元住民の方やボランティアスタッフの皆様方の協力によって成り立っています。僕らが安心して佐渡を駆け回れるのもこれらの人々のおかげです。また今回の僕に関して言えばツアーを実施してくれた日本旅行様、そして宿泊先であるたびのホテル佐渡様の存在は欠かせないものでした。この場を借りて御礼申し上げます。

また、今回完走できたのは応援してくださったトライアスロン部の先輩後輩をはじめとする多くの皆様のおかげでもあります。ありがとうございました。

 

ほとんどただの日記となってしまいましたが、お付き合いいただきありがとうございました。

 

2019/9/18 雨音けたたましい自室にて

 

EP11: さらば佐渡島 東京へ帰還せよ

起きられるかどうか不安だったが、なんだかんだで7時に目が覚めた。

相変わらずの腹痛でロビーのトイレへ。

部屋へ戻ると、まだ部屋は暗かった。🐊君もまだ寝ているようだ。

スマホをいじりながら起きるのを待つ。

……

…………

………………

7時40分。そろそろ朝ご飯を食べなければ間に合わない。「起きてる?」と声をかけるも反応なし。

電気をつける。

🐊君だと思っていた布団の上の気配は、🐊君の脱ぎ散らかした衣服の山だった。やられた。暗がりで気が付かなかった。慌てて下へ降りる。

朝食券は2枚あったので先に朝食に行ったわけではなさそうだ。

ロビーで座っていると🐊君が現れた。そのまま食堂へ。

腹痛と時間のなさから、僕のこの日の朝ごはんはとてもホテルバイキングとは思えないほど質素なものとなった......

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(おそらくこの世で一番悲しいバイキング飯)

忘れ物をしたり(僕が)お腹が痛くなったり(僕が)でごたごたして結局バスの集合には遅れてしまった(ごめんなさい)。

そして閉会式。🐊君は繰り上がりによって年代別の部で3位入賞を果たした(年代別の表彰は1位のみだったので表彰台にはいかなかったが)。

そのあとは記念品争奪のじゃんけん大会。ああいういわゆる王様ジャンケンで勝てる方法を知りたい。

会場を後にし、12時前に両津港到着。ここでツアーは解散。

後は各自で(とはいってもほとんど同じ船だろうが)本土へ戻ることになる。

フェリーの乗船までは時間がかなりあったので昼食にラーメン。腹痛以外に、謎ののどの痛みにも苦しめられた。

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お土産を購入して乗船。

12時40分、フェリーは両津を出発した。

寝られる場所を探すという🐊君と別れ、雨の降る中デッキでたそがれたりしていた。膝の痛みがものすごくて(特に階段の上り下り)死にそうだった。じゃなくても筋肉痛とかすごいし。


しかし行きと違ってわくわく感もないし、ある程度感傷に浸ってしまえばもうすることもなかったので船室へ戻り、疲れてしんどいので横になっていた。

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いつのまにか眠ってしまっていたようで、気がついたら新潟港へ到着していた。

新潟港から新潟駅へは、当初はバスのつもりだったが、雨だったこともあり混雑が予想されたのでタクシーを使うことにした。

自転車を2台積み込めるハイエース型のタクシーともなるとお値段もなかなかで、ひとりあたりでバス賃の10倍ほどにもなった。

少しためらわれたが、🐊君の決意の固さを言い訳にすることにした。

新幹線に乗る前に駅弁を購入。今度はちゃんと新幹線での駅弁だ。相変わらずのどが痛いが。

 帰りの新幹線は二階建てのMAXとき。当然階段では膝の痛みに苦しんだ。

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のどの痛みに耐えながら駅弁を食べたり、

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本を読んだり、感傷に浸っているうちにすぐに東京駅に着いた。

長い旅だったが、お互いに特に今回のレースを振り返るということもなく改札を出て解散。

JR乗り場へ向かう🐊君を見送って、僕も家路についた。

 

ここで正真正銘、僕の初ロングトライアスロン挑戦記は終わりである。

 

 

 

おわり 

EP10: 眠れない"宇宙人"たち

ゴールまでの一直線を駆け抜ける。再びアナウンスで名前が読み上げられる。左右から応援。

 

ああ、僕はこの瞬間のためにトライアスロンをしているのだ。

 

前を走っていた選手がゴールテープをくぐる(比喩でもなんでもなく、くぐっていた)のに続いて僕もゴールした(やはり後続のためにテープはくぐった)。

 

 

ランラップは4:54:08、順位は325位。

総合タイム15:09:51。総合順位616位。

僕の長くて短い初めてのロングトライアスロンへの挑戦はこうして幕を閉じた。

 

 

ステージにあがると、下に満面の笑みを浮かべた🐊君がいるのが見えた。ちゃんと何枚か写真を撮ってもらえた。

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(LINEのアイコンにしていたら完走メダルが金なのも相まって「優勝したの?」といろいろなところで聞かれたが、616位である)

スタッフの方にタオルをかけてもらい、ステージ裏へ降りていく。このとき降りる通路にも運営の(たぶん)えらい人がいて「お疲れさまでした」「おかえりなさい」と声をかけてもらったり、握手したりした。

その中に外国の人もいて、僕は通訳の人(開会式の時にスピーチとかを英訳していた)か何かだと思って普通に握手しながら(「ただいま」に「おかえり」を返していたのにひきずられて)「アイムホーム」とか言っていたのだが、若干困惑していた。

ところでこの外国人、トライアスロン界の大レジェンド、マーク・アレンであった(翌日気づいた)。

ステージ裏手へ降り、椅子に座ってアンクルバンド(計測機器)を外してもらう。ここで🐊君と合流し健闘を称えあった。

もうほとんど残っていない気力を振り絞って着替えと荷物の回収を済ませる。トライアスロン部のグループLINEを見ると、だいぶ心配されていた。

午後9時30分、佐渡国トライアスロンのレースは花火とともに終了した。

🐊君は胃をやられたようで、だいぶしんどそうにしていた。

 

二人とも気力が残っていなかったのでホテルへはツアーの用意したバスで戻ることにした。

バス車内でお腹ピーピーが再来するも、そこはアストロマン完走者としての意地で耐えぬき、ホテルに着くや否やロビーのソファに荷物を投げ出してトイレへ駆け込んだ。

便座の上で一息つきながらTwitterを開いたりしていたが、このタイミングで前日に「世界システム論」で知られる歴史学者、イマニュエル・ウォーラーステインの訃報を知った。

僕は彼の著作を読もう読もうと言いながら読んだことがないので大した思い入れもないが、わかる人にはわかる話として共有しておく。

それはさておき身体の疲労は限界を迎えていたらしく、便座の上で20分近く意識を失っていた。

部屋へ戻ると🐊君が床で寝ていた(今思えば写真の一枚でも撮っておけばよかったなというおもしろ光景だったのだが、余裕がなかった)。

しんどいからいったん寝る、3時ぐらいに片付けとかするというふうには聞いていたので放置して自分の片付けをする。次の日がホテルを8時40分発とやたら早い。

ここからが一番の地獄だったかもしれない。

まずは自転車の輪行をするため、ホテルの特設自転車置き場へ。

ツアーのガイドさんに「晩ごはんは食べないですか? ここの釜めしは有名らしいですけど」と声をかけられたが、何もかもがめんどくさかったのと🐊君に悪いような気がしたのとで断った。

ストレスで発狂しそうになりながらDHバーやボトル類を外し、バイクをしまう。

ウェットスーツだけ洗っていったん大浴場へ。ここでも意識を失った。

部屋に戻ったらユニットバスでボトルやらDHバーやらバイク周りの何もかもを洗う。

フロントハイドレーションの液漏れがひどく(穴が開いているわけでもないのに.......)DHバーやトップチューブバッグはべたべたな上にドリンクの臭いもついて不愉快だった。

しかもこの時ストローを紛失してしまったのでもうこのフロントボトルは使えない。5000弱したのに。

全てが終わるころには、もう時間も1時を回っていた。もう早く寝たいという一心だった。

乾かしてるもの以外の荷物を整理して、ようやく布団に入れたのは1時半だった。

即座に意識がなくなった。

 

もうちょっとだけつづく

EP9: 完走目前 暗闇を駆け抜けろ!

前回までのあらすじ

残り21.1km、3時間。

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コーンで仕切られた向こう側、2周目を終えてゴールへ向かっていく、あるいはBタイプやリレーを終わろうとしている選手たちを横目に反対方向へ走っていくのは何ともむなしいものであった。

2周目に入る前にもほかのASと同様に本部でしっかり給水。

自前の補給食の最後のひとつの存在をここで思い出して食べる。トイレに寄ってからスタート。

9月1日、夕方の佐渡島は少し肌寒かった。

 

1周目と同様に商店街を抜け路地へ。2.9km地点(2周目なので24km地点)のWSには19時前にたどり着けた。

2周目のスタート時よりもかなり暗くなっていた。時計代わりにしていたサイコンも画面が見えなくなってきたのでゼッケンベルトのポーチへ。

このあたりから、休憩した後走り出すまでの時間がかなり長くなってきた。

25か26㎞ぐらいのところで🐊君を発見。商店街からここまでで会わなかったので本部の方から回っている間にゴールしたのかと思ったが、前にすれ違った時からだいぶペースが落ちたみたいだ。

「(ゴールした時)写真撮ってくれ!」と声をかけたが、余裕がないのか何なのかやはり反応はなかった。ちゃんと写真を撮ってくれるか不安になる。

 

路地を抜けて田んぼ道へ出るころには、僕もだいぶ元気がなくなっていた。走る速度はわからないが、だんだん足が止まることが多くなってきた。

周りを見ても同じような人がちらほらいたと思う。コース上にいる人は選手も応援もだいぶ数が減っていた。視界が暗くなるにつれて気分も落ち込んでくる。

誰かを追い抜くたびに、また誰かに追い抜かれるたびに「あのペースで/あのペースなら間に合うのかなあ」などと思考が巡る。

2周目の人やB/Rタイプも一緒に走っていた1周目とは違って、周りにいるのはほぼ確実に自分と同じ、時間ギリギリの2周目の人間である。

同じ境遇の人が周囲にいるというのはなんとも安心感があった。8月の終盤になって夏休みの宿題が終わっていないことを共有しあう小中高生みたいな感覚である。

しかしやはり不安は募る。いまここで一緒に走っている人のペースで間に合うという保証はない。突然ペースアップをして置いて行かれるということがない、などという保証も当然ない。

脚を動かさないといけないのはわかるが、体が言うことを聞いてくれない。

ケイデンスを落として重く踏み込んだペダリングが、脚を回さずに悪癖全開の低重心で足を前に出す走り方が、脚全体を重くしていた。

沿道の応援に応えたりと元気はまだ残っているのだが、ひたすらに脚が重い。

そのうえ「練習通りにできていない」ことの影響、あるいは代償は肉体的にはもちろん精神的にも大きかった。

疲れだけでなく、「このまま行って走り切れるか」という不安感も足を止めた原因のひとつである。

折り返し地点前のアップダウンも、7割ぐらいは歩いていた。

 

折り返し地点への到着は19時50分ごろだったか。水分補給の後、無意識に一口サイズのクロワッサンに手が伸びた。

ここまで来てしまえば補給計画がどうとか関係ない。一気にほおばる。

うまい。17時間ぶりの固形物に涙が出そうだった。小さなクロワッサンを噛みしめる。

もう半ばやけくそだったのかもしれない。ここまで避け続けてきたコーラも一口で飲み干した。

最後の10㎞を前に、椅子に座ってしっかり身体を伸ばす。もう鼻をつくエアーサロンパスの臭いもおなじみである。

20時ちょうどに折り返し地点の畑野ASを出発した。10㎞を90分。

歩きの長かった2周目前半でも90分かかっていないことを考えれば、油断はできないながらも無理な話ではない。

折り返してからしばらくはぼんやり歩いていたが、ゆっくり走りだす。

ここで1周目の中盤に「BPM180(または90)セットリスト」を流し切って以来沈黙していた脳内オーディオが復活した。それに合わせてペースも上がってくる。

音楽の力か、コーラの力か、固形物の力か、それとも完走への希望なのかはわからないが、急に不思議と元気が出てきた。

ペースが上がる。足も止まらない(とはいえエイドのたびに休憩するのは変わらず)。

アップダウンも一気に超えて、勢いがどんどん上がっていく。エイドのたびに、制限時間への余裕が開いていく。

完走できるかも、という安心は完走できる、という確信に変わった。

休憩時間もどんどん短くなっていき、ゴールの2.8km手前、最後の八幡WSに到着するころには、確実に完走できるだけの時間的・身体的・精神的余裕があった。

休憩もそこそこに、商店街へ向けて走り出す。

途中で猫に遭遇。「にゃーん」とか言いながら近づくが当然逃げられた。近くにいた選手にも避けられた。恥ずかしいので一気に抜き去る。

 

商店街に入るころには頭の中の音楽も止まっていたが、もうここまでくれば関係ない。

「おかえりなさい!」「がんばれ!」と前後左右から声がかかる。アナウンスで自分の名前が読み上げられるのが聞こえた。

「ありがとう!」「ただいま!」!」と応援に応えながらも勢いは緩めず、フィニッシュエリアへ。

トランジションエリアの外側を回り、ゴールの特設ステージ(テレビ番組のSASUKEのスタート地点みたいなのを想像してもらえればよい)へ向かう。

 

 

つづく

EP8: 膝痛限界マラソン

前回までのあらすじ

ギリギリのところでランスタート。

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バイクからサイコンを外し、右手に持つ。僕はウォッチの類を所有していないので、これが時計代わりである。

トランジを勢いよく飛び出し、出てすぐの本部ASで立ち止まってがっつり水分補給。ここでバイクの20㎞地点以降"鳴り"を潜めていたお腹がまた痛み出し、慌ててトイレへ駆け込む。

10分弱、気を取り直して再び走り始める。バイクとは打って変わって膝の痛みはおとなしくなっており、こちらは練習通りの回転数で走れる。

だが一定以上太ももを上げようとすると相変わらず右膝は痛み、左足前腿から「コンニチハ」。

脚を上げる走り方ではなく足を前に出すような走り方を強いられる。これでは疲労がたまってしまうだろう。しかしどうしようもないのでそのフォームで無理やり走る。

商店街を抜け、路地に入る。ペース自体は(時間から概算しただけなので正確なところはわからないが)キロ5分ぐらいで走れている。エイドで休憩している時間を含めてもキロあたり6分~6分半ぐらいのペース。

なにしろバイクであまり脚が使えていない分、体力はだいぶ残っていた。これなら完走も間に合いそうだと安心感が胸をよぎる。

3㎞を過ぎたあたりで折り返して帰ってくる🐊君とすれ違った。佐渡トライアスロンのランコースは10.5kmを2往復するコースなのである。

「だいぶギリギリなんじゃないの」といつものごとく煽ってくるので「膝やったけど這ってでも完走してやるよ」と返す。

🐊君の恰好に何か違和感があったが(フォームが崩れてるとかそういうことではなくて)、気にせずそのまま行くことにした。

相変わらず走っているときのペースはキロ5分ぐらいなのだが、だんだんASでの休憩時間が伸びてきた。やはり一度止まってしまうと気持ちが立ち上がるまでに時間がかかってくる。

加えて、膝の痛みと腿の張りである。各ASに設置してあるエアーサロンパスをふんだんに使うが、だんだん効果も薄れてくる。

あんなにまぶしかった陽もいつの間にか暮れてきた。ASで反射板タスキを受け取り、肩から掛ける(最後まで何度もひっくり返ってうっとうしかった)。

折り返し地点の前(つまり折り返した後も)は長いアップダウンである。これも普段走っているコースからすればそこまで困難な坂ではないのだが、膝と腿のコンディションを考慮して歩きを混ぜる。

やはりいったん歩いてしまうとなかなか走り出せない。

補給食を食べるのを忘れていたこともあって折り返してからはスピードががくんと落ちた。

そんな状況を見透かしたかの如く、折り返し後のアップダウンが終わったぐらいでふたたび🐊君にすれ違い、「しっかり!」と声を掛けられる。

ここでさきほどすれ違った時の違和感の正体に気づいた。

2日前の島祭りPartyでボランティアの方に手ぬぐいを譲ってもらった彼は何と言っていたか。

「ランのときこれ巻いて走りますよ」と言っていたではないか。その日の夜に「巻くのは頭痛いから首から掛けて走る」と言っていたが。

そんなことはどうでもよい。問題は頭(キャップをかぶっていた)にも首にも手ぬぐいが見当たらないことである。

「きみ手ぬぐいは!?」叫んだが、返事はなかった(後で本人が言うには「ゼッケンベルトにつけてた」とのこと)。

 

というかこれ彼が2周目終わるまでに追い付かれるのではないか、気づいて焦り始めるが、悲しいかなスピードは上がらない。

結局、商店街を抜けて21㎞地点の本部ASに到着したのは18時33分。本当のところはもう15分ぐらい早く到着したかったが、仕方ない。2周目に3時間残せているだけマシである。

陽も落ちてあたりはだいぶ暗くなっていた。ここから2周目。ここが正念場である。

 

つづく

EP7: 激走佐渡島(後編) 登頂! 小木坂160(ワンハンドレッドシックスティ)

前回までのあらすじ

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118㎞地点・水津AS。ここでもしっかりストレッチ。同じようにストレッチをしている人が何人かいた。そのうちの一人はヘルメットのシールに大きく赤で✖が。

僕はこれをリタイアのマークだと勘違いしていたが、正しくはスイムスキップのマークである。

サロンパスもして13時出発。ここのASの制限時間は13時35分なのでかなりギリギリである。エイドのたびに長々休憩していれば当然だが、脚が動かないよりはマシという判断。

とはいえやっぱりまずいので、これ以降のエイドでのストレッチの時間は短くした。

両津を過ぎて小佐渡に入ってからは二回ほど小さなアップダウンがあったがここは難なくクリア。回転数が上げられなくてもなんとか坂は登れた。

水津から小木まではほとんど平坦か、ちょっとした勾配で少し長い程度の坂が何本かあるぐらい。

138㎞地点・多田WSと148㎞地点・赤泊ASではストレッチを早めに切り上げて5分ほどで出発。

多田WSでボトルをボトルキャッチャーへ投げようとしたところ、「もう配れるボトルがないのでボトルは捨てずに持っておいてください!」と叫ばれた。

もうそんなに後ろのほうまで来てしまっているらしい。でも後のエイドではボトルをもらえた。

ここではストレッチ中に移動マーシャル(審判員)の方に話しかけられて少し雑談をしたのだが、

「まあこの後は小木の坂とそのあとの〇〇(なんて言っていたのか覚えていない)の坂が長いぐらいですからねえ」という衝撃発言(僕は小木が最後だと思っていた)。

「そうっすね~」なんて言っていたが内心では「うん????????」という感じだった。そのあとこのマーシャルの方とは何回か遭遇した。

赤泊ASへの到着は14時10分ごろ。やはり何人か休憩している。ストレッチ中に気づいたが、隣で顔にタオルを乗せてあおむけに寝ている女性の選手は過呼吸気味だった。

レース開始からは8時間が経っている。暑さはそこまできつくなかったが、日差しは強かった。このエイドの関門は30分後。

おそらく彼女がレースに復帰するのは難しいだろう。マジのリタイア者を前にして、ここにきてリタイアという言葉が重くのしかかってくる気がしていた。

ここにくるまでにも、なんどかリタイアした選手を回収するバスやリタイア者のバイクを回収するトラックと何度もすれ違ったがそのたびに、

「ここでリタイアすれば楽になれるんだろうなあ」などと冗談めかして考えていたが、これ以降は回収車とすれ違うたびにリタイアへの恐怖を振り払うのに必死だった。

時間にも余裕はなくなってきている。

しかしこのレースのために20万円以上(エントリー4万、ツアー11万、新幹線2万、そのたもろもろで3万は軽く超えるであろう)もかけてきているのだ。それに完走できなけばトライアスロン部の皆をはじめいろんな人に顔向けできない。

絶対にリタイアはできない。

 

161㎞地点・小木ASに到着したのは14時半を少し過ぎた頃だった。

 次の関門をスタッフの方に尋ねると、「8㎞先で15時15分ですけど、そこまでずっと山登りなので......ま~ちょっと厳しいかもしれないですねえ」。

そう、小木ASから169㎞地点・羽茂ASまでの8㎞が「小木坂」なのである。僕はここで初めて知った(きつい坂をサッと登って終わりだと思っていた)。

しかし厳しかろうがなんだろうが行くしかない。お礼を言ってストレッチをしているとやはり次の関門を気にする他の選手と同じスタッフの方との会話が聞こえてきた。

僕の時と同様「厳しいと思います」と言われた選手は、「そうですよね~......うーん、リタイアで!」。正直、どんどん現実度を増す「リタイア」「タイムオーバー」への恐怖で、頭がどうにかなりそうだった。

半ば逃げるように小木ASを後にし、小木坂を登り始める。最初の勾配がきついが、これは前情報通り。このあとは緩い上りになる。

ダンシングでスピードを取り戻して一気に登ってしまおうとも考えたが、左の太ももから「コンニチハ」という声が。

右膝を無意識にかばい続けてきて左脚に変な負担がかかっていたのだろう、左の太ももは小佐渡の手前ぐらいから攣りそうな張りをしていた。

ずっと水分補給を続けて攣るのはなんとか避けられていた。しかしダンシングはやはりまずい。仕方なく、10km/hぐらいでのんびり登ることにした。

上り、平坦、また上りと繰り返してだいぶうんざりしてきたところで、最後のASである羽茂ASに到着した。残り20㎞。

羽茂をでて、追加で登った後は一気に下り。ブレーキングをしながら慎重に下るが、それでも50㎞/hぐらいのスピードになるので気分爽快。

そしてまた上り。これがナントカの坂か。

このナントカの坂も上りと平坦の繰り返し。いつまでも下りにならないのでいい加減にしろ! とか思っていた。というか口に出していた。

そして下りは気分爽快。膝もそろそろやばいしこの坂終わったらゴールだといいなあ、などと考えていたが、下りが終わったところでここまで17回見てきた

佐渡国トライアスロンAタイプ 

    (佐渡島の地図) 

      180㎞

  スタート地点まであと10㎞」

の看板。現実は甘くない。

残りの平坦区間を抜け、バイクも残り5㎞。ここからは県道を外れ、路地を進む。

 

膝ももう限界だった。痛みでほとんど力の入らない右足のビンディングを外し、攣るのを覚悟でほとんど左脚だけでペダルを回す。

痛みに耐えるために「右膝耐えてくれ~」とか「絶対完走してやる~」と泣きそうな声を出し続ける。

発声していないと本気で心が折れそうだった。

何度も「バイクを降りた瞬間に右膝に力が入らず立てなくなってリタイア」という嫌なヴィジョンが脳裏をよぎる。

レース前は冗談めかして「レース中100回ぐらい死にたくなるんだろうな~(笑)」なんて言っていたが、100回どころではない。ここまで右足でペダルを踏むたびに死にたくなっていた。

 バイクゴールにつく頃には立てるかどうかという恐怖と不安でほとんど泣きそうになっていた。

 

幸いなことに、バイクを降車して地に足が着いた瞬間に崩れ落ちる、なんてことはなく走り出すことができた。

まだいける。まだ走れる。

 

イクラップは8:24:43、バイク順位は866位。サイクルコンピュータに残っていた記録では実装時間が7:38:??ぐらいだったので、停車時間が50分弱あったことになる。

膝の湿布を貼り替え、16時15分、ランスタート。

 

つづく

EP6: 激走佐渡島(前編) 峠を越えろ!

前回までのあらすじ

スイムアップ。トイレ行きたい。

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スイムアップぐらいからの頭痛は気になっていたが、バイクの滑り出しは好調。沿道で応援してくれている地元の方々に手を振りながら駆け抜ける。

協賛企業のSCOTTからも「ナイスバイク!」と熱い声援が(ちなみに僕のバイクはSCOTTのSpeedsterである)。

とにかく回転数を上げて、脚に疲れをためないペダリング。6月の関東学生選手権では活かされなかったがそういう練習をしてきた。スピードも平坦なところなら32-35km/hぐらいで走れている。

10㎞ぐらい行くころには頭痛も治まってきていた。トイレが下り坂の途中にあったのでスルーしてしまったが尿意も落ち着いてきて、20㎞地点の相川WS(ウォーターステーション)まではもってくれそうだ。

左側から流れてくる潮の香りがなんだか不愉快だった(ふつうなら気分爽快なところだろうが、2時間弱の海水泳は潮の香りにうんざりするのに十分すぎた)。

ともかく、これは割と余裕を持っていけるのではないか。練習不足からくる事前の不安とは裏腹に快調な走りができていた。

 

15㎞に差し掛かるかどうかというところで、右の膝が痛み始めた。

僕はもともと股関節周りが固く、ここ半年ぐらいで練習中に膝に痛みが出ることが増えてきており今回のレースでも膝・すね(特にラン時)に痛みが出ることは予想していた。

予想はしていたのだが、だいぶ早い登場だ。それに、普段痛めやすいのが左膝であるのに対して今回は右膝である。これも予想外だった(別にどちらでも変わりはしないのだが)。

しかし僕も予想できているトラブルに対応策を用意しないほどのアホではない。今回のバイクにあたり、サドルバッグには湿布を入れてあった。

ただの湿布ではない。処方薬である。ロキソプロフェン、つまりはロキソニン。「痛みが出た時に」と処方されたもののだんだん痛みが落ち着いてきたこともあり、もらったはいいが使用せずにたまっていた。

膝に湿布を貼ったところですぐにはがれるのは目に見えてはいたが、何もしないよりはましだろうと持ってきていた。

本当は内服薬のものもあればよかったのだが、こちらは余っていなかった。いずれにせよ胃が荒れていたので使えなかったであろうが。

20㎞地点の相川WSでドリンクを受け取り、トイレに行くために降車。スイム前の胃薬が効いたのか、お腹はだいぶ落ち着いていた。

トイレ後、再度バイクに乗る前に右膝に湿布を貼る。

……

…………

………………

あまり効いてない.……。仕方ないので、とにかく出発。今になって思えば、この時点での痛みはまだましなほうだった。

痛みこそあったがペースは好調で、43㎞地点の高千AS(エイドステーション)にも目標より1時間早い到着。

WSと違ってASではドリンクだけでなくバナナなど食べ物も配っていたが、想定外の糖分摂取は避けたかったのでドリンクのみの受け取り。

同様の理由でコーラもランの最終盤までもらわなかった(コーラは胃への負担が大きく、補給に影響が出るだろうという判断もある)。

補給食は45分ごとにゼリーやスポーツようかんを一本。5月のロングライド(160㎞)ではこの間隔でうまくいっていた。

 

そんなこんなで、佐渡トライアスロン・バイクコースの最初の難関、「Z坂」こと跳坂に到着(だいたい50㎞ちょっとぐらいの地点)。

そのまま上ってしまいたかったが、お腹がゴロゴロし始めたので坂の直前のトイレへ。

難所越えの前に体を軽くしたかったのか、ここのトイレは他の場所よりも立ち寄る人が多かった。

最初の坂は緩やか。ヘアピンを曲がって中腹ぐらいから坂がきつくなりはじめる。とはいっても、5月に走った坂と比べればなんてことはない。

いつも湾岸道路(国道357号線)の橋を渡るときのように、高ケイデンスで一気に登り切ってしまおう。

かの名曲『リンダリンダ』を流しながら「小木坂のほうがきつい!」と書かれたボードを足元に置いたおじさんが応援してくれている。

手を振って応えながら回転数を上げにかかる。

 

ここからが膝の痛みの本当の脅威の始まりだった。

膝の痛みはペダルを踏んだ時に出ていた。力んだ時ではなく、曲げ伸ばしに伴う痛みである。

回転数を上げればそれだけ膝の曲げ伸ばしの機会=膝の痛みが出るタイミングは増える。

ケイデンスが維持できない。ヒルクライムの基本は軽ギア高ケイデンスである。少なくとも僕はそういう練習をしてきたし、それでずっと登ってきた。

ここまでの細かいアップダウンでは痛みはそこまで気にならなかったのが、ここから強くなりはじめた。なんとかZ坂は登り切った(登り切ったあともしばらく上り坂なのだが)。

下りが終わって岩場の合間を抜けていくとすぐに第二の難所と謳われる「大野亀」。こちらは傾斜が大したことないので多少低いケイデンスでも楽に登ることができ、Z坂ほど苦しまなかった。

坂を下ったところで72㎞地点、鷲崎AS。このあたりから眠気が強くなりはじめてあまり記憶がない。

カフェイン入りの補給食を摂ってはいたが、それ以上に強烈な眠気である。膝の痛みほうがよっぽど眠気覚ましになっていた。それでも主にトンネルなどでは寝落ちしていたが。

膝の痛みが極限まで来ていて、このあたりは回転数をできないどころかもはやまともにペダルを漕げなかった。

眠気と痛みの両面作戦。もうなんだか泣きそうだった。

それでもなんとか下り坂(ゆるいが長い)の勢いで進み、ようやく95㎞地点・白瀬WSに12時直前の到着。ブルーシートがあったのでがっつりストレッチ。エアーサロンパスも膝に吹き付ける。

10分ほどストレッチをして出発。痛みはいまだに強いが、いくらか漕げるようになり、両津港を抜けてコースは大佐渡から小佐渡へ。後半戦へ突入である。

 

つづく