EP10: 眠れない"宇宙人"たち
ゴールまでの一直線を駆け抜ける。再びアナウンスで名前が読み上げられる。左右から応援。
ああ、僕はこの瞬間のためにトライアスロンをしているのだ。
前を走っていた選手がゴールテープをくぐる(比喩でもなんでもなく、くぐっていた)のに続いて僕もゴールした(やはり後続のためにテープはくぐった)。
ランラップは4:54:08、順位は325位。
総合タイム15:09:51。総合順位616位。
僕の長くて短い初めてのロングトライアスロンへの挑戦はこうして幕を閉じた。
ステージにあがると、下に満面の笑みを浮かべた🐊君がいるのが見えた。ちゃんと何枚か写真を撮ってもらえた。
(LINEのアイコンにしていたら完走メダルが金なのも相まって「優勝したの?」といろいろなところで聞かれたが、616位である)
スタッフの方にタオルをかけてもらい、ステージ裏へ降りていく。このとき降りる通路にも運営の(たぶん)えらい人がいて「お疲れさまでした」「おかえりなさい」と声をかけてもらったり、握手したりした。
その中に外国の人もいて、僕は通訳の人(開会式の時にスピーチとかを英訳していた)か何かだと思って普通に握手しながら(「ただいま」に「おかえり」を返していたのにひきずられて)「アイムホーム」とか言っていたのだが、若干困惑していた。
ところでこの外国人、トライアスロン界の大レジェンド、マーク・アレンであった(翌日気づいた)。
ステージ裏手へ降り、椅子に座ってアンクルバンド(計測機器)を外してもらう。ここで🐊君と合流し健闘を称えあった。
もうほとんど残っていない気力を振り絞って着替えと荷物の回収を済ませる。トライアスロン部のグループLINEを見ると、だいぶ心配されていた。
午後9時30分、佐渡国際トライアスロンのレースは花火とともに終了した。
🐊君は胃をやられたようで、だいぶしんどそうにしていた。
二人とも気力が残っていなかったのでホテルへはツアーの用意したバスで戻ることにした。
バス車内でお腹ピーピーが再来するも、そこはアストロマン完走者としての意地で耐えぬき、ホテルに着くや否やロビーのソファに荷物を投げ出してトイレへ駆け込んだ。
便座の上で一息つきながらTwitterを開いたりしていたが、このタイミングで前日に「世界システム論」で知られる歴史学者、イマニュエル・ウォーラーステインの訃報を知った。
僕は彼の著作を読もう読もうと言いながら読んだことがないので大した思い入れもないが、わかる人にはわかる話として共有しておく。
それはさておき身体の疲労は限界を迎えていたらしく、便座の上で20分近く意識を失っていた。
部屋へ戻ると🐊君が床で寝ていた(今思えば写真の一枚でも撮っておけばよかったなというおもしろ光景だったのだが、余裕がなかった)。
しんどいからいったん寝る、3時ぐらいに片付けとかするというふうには聞いていたので放置して自分の片付けをする。次の日がホテルを8時40分発とやたら早い。
ここからが一番の地獄だったかもしれない。
まずは自転車の輪行をするため、ホテルの特設自転車置き場へ。
ツアーのガイドさんに「晩ごはんは食べないですか? ここの釜めしは有名らしいですけど」と声をかけられたが、何もかもがめんどくさかったのと🐊君に悪いような気がしたのとで断った。
ストレスで発狂しそうになりながらDHバーやボトル類を外し、バイクをしまう。
ウェットスーツだけ洗っていったん大浴場へ。ここでも意識を失った。
部屋に戻ったらユニットバスでボトルやらDHバーやらバイク周りの何もかもを洗う。
フロントハイドレーションの液漏れがひどく(穴が開いているわけでもないのに.......)DHバーやトップチューブバッグはべたべたな上にドリンクの臭いもついて不愉快だった。
しかもこの時ストローを紛失してしまったのでもうこのフロントボトルは使えない。5000弱したのに。
全てが終わるころには、もう時間も1時を回っていた。もう早く寝たいという一心だった。
乾かしてるもの以外の荷物を整理して、ようやく布団に入れたのは1時半だった。
即座に意識がなくなった。
もうちょっとだけつづく