僕が宇宙人になるまで / 2019 第31回佐渡国際トライアスロンAタイプ“感想”記

2019年9月1日に開催された佐渡国際トライアスロンAタイプの出場と完走の記憶です

EP5: スイム 鉄人たちの"戦い"

前回までのあらすじ

胃薬をもらえてハッピー。そんなこんなで午前6時スイムスタート。

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佐渡国トライアスロンのスイムは、浜辺からのスタートである。僕はトライアスロン歴は今年で3年目なのだが、実は今までフローティングスタート(水中で待機してスタート)しか経験がなかった。

なので今回、浜からのスイムスタートを想定して付け焼刃ではあるがドルフィニングを練習してきていた。

さあ今こそ練習の成果を見せるとき。前を歩く人に続いて一歩ずつ入水していく。ごろついた石ゾーンを足裏の痛みに悶えながら越えると、だんだん水位が深くなりはじめる。

つま先から脛、膝、太もも、腰......ん?

おかしい。だいぶ体も水に浸かってきたというのに、周囲の誰一人として飛び込みを始めない。

1000人の大集団が、ぞろぞろと歩いて海へ入っていくばかり。だいぶ人数が多いがエアロスミスの名曲『I Don't Want To Miss A Thing』が聞こえてこんばかりの雰囲気である。

 I Don't Want to Miss a Thing

 

I Don't Want to Miss a Thing

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冷静に考えたら、1000人も入水するのにドルフィニングなどできるわけがないのは当然である。僕がここ1ヶ月やっていたプールサイドをビシャビシャにする練習は全くの無駄であった。

とにかく気分はハリー・スタンバーで(それにしてはだいぶ後方にいるのだが)歩いているうち、胸のあたりまで水が来る頃に周りが泳ぎ始めたので僕もストリームラインで飛び出した。

ここからが本当の意味でのスイムスタートである。

 

やったことがある人はわかるだろうが、トライアスロンのスイム(というかオープンウォーターのレース全般?)は"戦い"である。自分との戦いとかそういう話ではない。

"バトル"と形容されるように、特にスタート直後は団子状態が形成されやすく、乗って乗られて蹴って蹴られて場合によっては引っ張られてと、他のプレイヤーとの闘いになってしまうのである(故意のラフプレーというわけではなく、多くの場合は不可抗力なのである)。
普段のレースは人数もそこまで多くならないので、少し我慢すれば団子がばらけてこの"バトル"は終わりを告げるのだが、佐渡のスイムは一味違った。

なにしろ、1000人という大人数。それに加えて、若干コースが狭い。いつまでたっても団子がばらけない。

なんとか間を縫って前へ出ればまた団子。どこへ行っても"バトル"から逃れられない。まさに戦場である。

そしてこの戦場、わかってはいたが非常に波が高い。うっかり波の上で息継ぎをしようものなら、顔が海面に叩きつけられる。

そして、数百メートルもいかないうちに、首周りにこすれるような感触、やがて擦りむいたような痛みが。

そんなバカな。マジックテープの位置は入念に確認したはず。

泳ぎながら首の後ろに手をまわしてマジックテープを剥がして貼ってと繰り返すが、痛みは治まる気配がない。

どうやらこすれているのはマジックテープの部分ではなく、ウェットスーツの襟にあたるような部分のようだ。

今まではこんなことはなかったはずなんだけどなあ、と心の中でぼやきながら何度も襟を正す。

やってるうちに、突如背中に開放感が訪れた。ウェットスーツのファスナーが開いたのである。ここまで500m程度。

どちらにせよ、1週目が終わるまでは直しようがないので諦めて背中を開けたまま泳ぎ続ける。

幸いなことに、これによって首周りのこすれがだいぶマシになった。

大幅なコースアウトをしてライフセーバーに怒られたり(ごめんなさい)、斜めに戻ろうとして「一旦横に戻って」とまた怒られたり(ごめんなさい)、戻ったその勢いで他の選手の横っ腹に激突したり(ごめんなさい)しているうちに1週目が終わった。

折り返しの50-100mぐらい手前からは足がつくのでのそのそと浜へ上がる。完全に陸上の区間は短いが、ボランティアスタッフの方々がバケツに入った水を配っていた。柄杓で。

口の中が塩辛くてしょうがないので、真水はありがたい。一口飲むだけで口の中がだいぶすっきりした。あまりがっつり水分補給はできなかったがどうしようもないので2周目へ。

スタートと同じく、のそりのそりと入水。体が浸かってきたところで泳ぎだす。背中のファスナーは開けたままにしておくことにした。ストロークのたびにめくれて多少泳ぎにくいが、後で痛いよりはマシである。

このあたりから余裕が出てきて脳内オーディオも機能し始めた。思ったより疲労感もない。

2周目で泳ぎ始めてから300mもいかないうちにコースロープに顔面から突っ込んで口と鼻の間のところを怪我して泣きそうになりながら、萎えながらも2周目(タイムが落ちた)が終わってスイムアップ。

会場に設置してあった時計では7時41分。ペースは上々である。

そのまま陸へ上がり、ウェットを脱ぎつつシャワー(学校のプールにあるようなやつ)を浴びてトランジへ入る。エイドのアクエリアスで水分補給も怠らない。

スイムラップは1:42:38。571位での通過である。

パッド付インナーをトライスーツの上から履き、さらにバイクジャージ上下を着用。

トライスーツ+インナー+バイクジャージ下で脅威のパッド三枚構成である

これによって結果的に尻の痛みはほとんど出なかったが、終わるころにはものすごい蒸れとこすれで太もも付け根のあたりの皮膚がボロボロになっていた。あと股関節の動きも阻害されていたと思う。

若干頭痛があったが、とにかく7時50分バイクスタート。目標より10分ほど早い。

トランジの時にトイレに行きたかったが、なんだかんだでタイミングを逃した。

 

つづく

 

EP4: 決戦の朝 薬を手に入れろ!

前回までのあらすじ

クエン酸でお腹ピーピー。

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予定通りに起床。ベッドの下で寝ていたはずなのに目が覚めたらベッドの上なので一瞬ビビるが、すぐに這い上がった記憶がよみがえってきた。

すぐに一階のトイレへダッシュ。朝起きたらお腹も治ってるのでは、という淡い期待があったが望みは一瞬で砕かれた。

お腹ピーピーしすぎたせいで時間が無くなり、朝ご飯もリタイア。

米とみそ汁しか食べられなかった。縁起が悪い以前にどう考えてもエネルギー不足では? という不安もあるが、食べられないものはどうしようもない。スイム中に気分悪くなるよりはマシである。

トライスーツは昨日の夜の段階から着ているので上からシャツと短パンを着るだけである。これが楽なのだが、いまだに理解者はいない。

スイム用具をリュックに詰めて、いざバスへ......といきたいところだったが、バイクグローブが見当たらない。探していたら結局ギリギリになってしまった(バイクグローブは家にあった)。

 

佐和田についたら、本部でボディマーキングを受ける。本部には救護エリアが併設されていたのだが、ここで胃薬か何かもらえるのでは? と踏んでいた。

手荷物を預けに行く🐊君と別れ、救護エリアへ向かう。

手荷物預かりはなんと500円も取られるということで、こんなところでお金を使いたくなかった僕は手荷物はトランジションのカゴの中に入れていた。

救護エリアのスタッフの方に、お腹を下してしまったので何か薬をもらえないかと尋ねたところ胃薬をもらえた。

緊張ですかねーハハハありがとうございましたなんて言いながら薬を服用。後は効いてくれることを祈るのみ。

補給食をバイクにセットし、ボトルに水を入れてる。トイレに行きたかったがしばらく並んでも列が動く気配がなく、入水チェック締め切りに間に合わなさそうだったのであきらめて列を離れてスイムスタートエリアに向かいながらウェットスーツを着る。

僕のウェットスーツは一般的なものと異なり、背面のチャックを上から下におろす。

そのため一人では着られないので、毎度のごとくスタッフの方の助けを得ながらの着用である。着るのが大変な代わりに、脱ぐときは楽なのだが......

首元のマジックテープの位置も念入りに確認する。これを忘れてマジックテープの固い方の部分が微妙に襟元を越えてはみ出して、スイムの間ずっと首をひっかき続けて擦り傷の最終形態みたいなことになり、レース後数日間痛すぎて泣いたことは数知れずである。それが4㎞の長丁場で起これば目も当てられない。

 

アンクルバンドを受け取りいざ試泳へ。水温は朝の段階で24℃ぐらいだったと思う。

直近のレースは6月末の那須塩原の関東学生選手権(オリンピック・ディスタンス)だったのだが、その時の水温は18℃ぐらいで、スイムだけで10名近いリタイアが出るような始末であった。

僕自身も700mを過ぎるぐらいまで息継ぎが全然できず、おまけに両足が終盤で攣るという失態を犯した(その後なんとか完走はしたが......)地獄のスイムだった。

そのコキュートスに比べれば24℃などお湯みたいなものである。でもやっぱり最初の一瞬は冷たかった。

ところで、佐渡トライアスロンのスイムは水がきれいだという前情報があった。ので、それは僕もだいぶ期待するところであった。

先述の関東学生選手権以外に僕が普段出場する大会(とはいっても他には群馬県・渡良瀬遊水池で開催される学生大会ぐらいものである)はだいたい水が汚いのである。

去年出場した九十九里トライアスロンもこれまた汚水だった(渡良瀬よりはマシ)。

何しろ4㎞のスイムである。これで水が汚かったらやってられねーわ。そんなことを考えながら入水。

普通に汚かった。伸ばした腕の指先ぐらいまでは見える。九十九里の時と変わらないぐらいである。

がっかり。何日か前まで雨が降っていたので、おそらくそれが原因だろう。

そして昨日の地獄(昼食)の際に、試泳をしたという人から事前に情報を得てはいたのだが波がそれなりに大きい。

帰りの900mは追い波なので楽でいいだろうが、行きの900mはきつそうだなアなんて思ってるうちに試泳の時間が終わり、選手たちが続々浜へ上がり始めた。

浜に上がるまでにはごろついた石が多く、わりと痛かった。スタート前に🐊君と合流できるかと思っていたが、さすがに1000人もいる中から一人を見つけ出すのは至難の業である。あきらめて後ろのほうへ。

頭の中では『ソウルをひとつに』がヘビーローテーション。俄然気合が入る。スタート前の挨拶を聞き流しているうちにスタート1分前。

ソウルをひとつに

 

ソウルをひとつに

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腹痛は来ていないが、少し尿意。一週目と二週目の間にトイレに寄れそうな雰囲気ではないのであきらめるしかない。

スイムコースは沖に向かって900m泳ぎ、そこから浜と平行に200m、そして浜へ戻る900mで1周が2000mになる。陸上の区間はほとんどない(「はじめに」を参照)。エイドらしきものが見当たらないが、水分補給もできないのだろうか。

そんな不安をよそに、いつも聞くのとちょっと違う「ポワァーン」みたいな感じの音が鳴り響く。ついに佐渡国トライアスロン、236㎞の長丁場が幕を開けた。

 

つづく

EP3: 無念無情の"リタイア"

前回までのあらすじ

夜更かししたら体調悪くなった(当然のことである)。財布の中身が90円になった。

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バスは何事もなく昼食会場である長浜荘へ到着。

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ここで僕らは刺身定食(希望すれば焼き魚定食)を食べることになっていた。刺身定食。なんとも食欲がそそられる。健康な状態であれば。

寝不足の中バスに揺られ続けた僕は健康な状態では済んでいなかった。バス酔いで吐き気が頂点へ達していた。もう食欲がないどころの騒ぎではない。

食卓に着くと、豪勢な刺身の盛り合わせ。

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まぐろやサーモンは当然のことながら、サザエやその他名前のわからない貝と魚の数々……嗚呼、カムバックわが食欲。

とにかく手を付ける。一口ごとに幸せが訪れる。幸せが訪れながらも、一口ごとに地獄に叩き落される。おいしいんだけどそれはそれとして吐きそうだ。

もずくもおいしい。普段ならおいしく食べていたのだろうが、食欲不振+乗り物酔いの前にはかなわず一口であえなくギブアップ。

味噌汁だけは僕に優しかった。優しさゆえに最初に完食してしまい、後に残るは地獄のみ。

地獄に耐えながらも食べ続けたが、バスの出発の時間が近づいていたこともあり、刺身何枚かともずくを残して完食をあきらめた。ああ、なんとも縁起の悪いこと……

これはちょっとメンタルに響いた。だからどうなったということもないが。

 

昼食の後はバスに揺られてスタート会場である佐和田へ。バスを降りて、バイク預けにもっていくために輪行していたバイクを組み立てる。フロントハイドレーション(DHバーにつけるボトル)にはタブレットを入れておいた。

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バイクジャージ、サングラスやシューズなどレースで使うものはトランジションバッグにしまって1人にひとつずつ貰える黄色いカゴへ。

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 このとき初めてDHバーの取り付けを自分でやったのだが、これがなかなかうまくいかない。結局、バイクを預けてバスに戻ってくる頃には出発の時間ギリギリになっていた。

 

バスはここからホテルに直帰する便とコースの一部下見(終盤の"小木の坂"のあたり)をしてからホテルに戻る便の二台があり、当初の予定ではコースの下見をするほうに行く予定だったのだがもう体調も限界だったこともありホテルに直帰するほうへ。

🐊君はコース下見便に乗るのでここで別れた。後で"小木の坂"はどうだったか尋ねてみたが、「まあまあまあ」みたいなよくわからない返事しか返ってこなかった(気がする。いずれにせよあんまりちゃんと記憶していない)

ホテルのフロントの人にATMがないか尋ねてみたところ、ホテルの目の前の建物(JA)にJAバンクがあった。手数料は痛いが、致し方ない。お金をおろした後昨日もいったの酒屋に寄り道して栄養ドリンクやらお菓子やらを購入。

まだ夕方4時ぐらいだが、早めのお風呂へ(占有できるかと思ったがなんだかんだで三人ぐらいはいた)。

 

部屋へ戻ってクエン酸を試してみようと突然思い立った。紙コップに水を入れてクエン酸を適当に投入し、コップを揺らして混ぜる。

 ずいぶんとまあ楽しそうである。この後クエン酸の分量を間違えていたことに気づいた(コップ一杯の水に対して1リットルに溶かすクエン酸を入れていた)が、別に大したことはないだろうと高をくくっていた。

30分もしないうちに、お腹がピーピーするタイプの猛烈な腹痛に襲われた。慌てて(一階ロビーの)トイレへ駆け込む。案の定、お腹がピーピーするタイプの"ビッグ・ベン"だ(こんな言い回しをしてイングランド人に殺されたりしないだろうか)。

レース前日にお腹ピーピーとは、なんともツイていない。原因は何か。最初に思い当たるのは昼食の刺身だが、あれが原因ならば今頃ここのトイレは超満員になっているだろう。

これは完全に余談だが、一年前のこの時期(九月の頭ぐらい)も強烈な腹痛に悩まされていた。その時は食中毒が原因だった(鳥刺しを食べていた)のでまず刺身を疑うのは妥当ではなかろうか。

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そのときの鳥刺し盛り合わせがコレなのだが、今思うとよくこんなの食ったな。

それから、疑わしいのはクエン酸。便座の上で検索をかけてみると、案の定「クエン酸が胃腸の働きを過剰に活発化させることで下痢を引き起こす」みたいなことが書いてあった。そんな働きしなくていいから……

寝不足で胃が荒れているときはクエン酸の摂取は避けたほうが良い。そんな教訓、多分この後の人生の中で活きることはないだろう。

結局この腹痛はレース当日どころか東京に戻ってからも続き、なんだかんだで一週間近く付き合う羽目になるのである。

ひとまず腹痛は収まったが、その後も部屋と一階ロビー(のトイレ)を行ったり来たりすることになっていた。

夕食はなんだかんだで食べられた。

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🐊君が味噌汁のカニがいらないというのでこっちによこしてきたため、カニ倍量でハッピー。代わりにカツを一個あげた。食後のアイスも無事に食べられた(お腹を下しているのだからどう考えてもアイスなど食べないほうが正解である)。

腹痛の不安は残るが、とにかくあとはレースに備えて寝るのみである。午前3時(厳密には3時15分)に起床予定のため、ベッドがあるのに雑魚寝(眠りを浅くして確実に起きる作戦)をすることにした。

 ツイートからも「3時に起きる」という意思があふれているではないか。見返したときちょっとビビった。

9時ぐらいには消灯。夜中まどろみの中でベッドに這い上がっていた(記憶はあるのだが、何を思ってそうしたのかは一切思い出せない)。

 

つづく

EP2: 金欠パニック 補給食を補充せよ!

前回までのあらすじ

佐渡島についた。お酒がおいしかった。

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大失敗である。気が付くと、時刻は2時半を回っていた。14時半ではない。午前の2時半だ。どうしてこんなことになってしまったのか。

 

さかのぼること2時間半前、布団に入ってからというもの気持ちの高ぶりか、緊張からかどうにも寝付けず幾時間、ついに日付が変わった。これがまずかった。

8月31日を迎えた瞬間、普段僕が利用している某漫画アプリが「一日限定読み放題」を始めたのである。不眠男はこう考えた。「マンガ読んでりゃそのうち眠くなるでしょ」

後は周知の通りである。結局連載の最新話まで寝落ちは訪れず、眠りにつけたのはようやく3時を過ぎてからであった。

 

受付会場へのバス出発は10時前なのでそれに合わせて8時ごろの起床予定であった(と思う)。予定通り起床。重い体を引きずって朝食へ。

バイキング形式なのでとりあえずいろいろ取る。

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(プレートの右下はカスタードプリンである)

しかし食欲がない。夜更かししたんだからそれはそうである。とにかく完食し、受付の準備。

ここで眼鏡を忘れたことに気づいた。コンタクトは明日と明後日の2日分しかないので、今日は裸眼。 

バスに揺られて受付と競技説明会の行われるアミューズメント佐渡へ。補給職の類もここで購入する予定であった。

受付を済ませ、リストバンドをつけてもらい、トランジションバッグを受け取る。

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レース当日はここにトランジションで使うものを入れておく(らしい。僕はまともに使わなかった)。トランジションバッグの中には、もう一枚のトランジションバッグ、注意事項のプリント、レースナンバーのゼッケンとバイクシール、そして地元の小学生からの熱いメッセージが。

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健気さに心打たれる。

受付の部屋を後にして競技説明会の行われるホールへ向かう途中、アストロマンに向けた「熱きメッセージ」なる掲示板の中に、トライアスロン部の後輩たちからの熱きメッセージを発見。

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なんとなく元気と完走してやろうという気力が出てくる。あと笑いも。

なんとなく体調が悪いながらも競技説明会を聞き終え外へ。そして新しいゼッケンベルト(ポーチ付き、補給食を挟めるタイプ)を購入してふと気づく。

所持金、残り2500円。もっと入ってると思っていた。付近にお金をおろせる場所はない。ホテルの周りはどうだったか? 少なくとも徒歩圏にコンビニはない(とホテルのHPに書いてあった気がする)。昨日の酒屋もATMはなかった。

とりあえず、買えるものだけ買ってしまおう。🐊君に借りようかとも思ったが、さすがにちょっとアレな気がした(それに、何を言われるか分かったものではない)なあと思いそれは最後の手段に回すことに。

幸い、味の素のブースでアミノバイタル(赤・青・金一本ずつ)を配布していたので恩恵にあずかる。去年、九十九里トライアスロンに出場した際にもお世話になった。これで一本(青と金はエネルギー補給ではない)。

それから補給食何本かを買い足し、また今回ドリンクに混ぜるのを試そうと思っていた(なんでも疲労回復効果のほか、脂肪がエネルギーとして利用される効率を高めてくれるんだとか)クエン酸のボトルも購入。

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これがのちに僕に牙をむくことになるのだが。

とりあえず必要なものはそろった。財布の残り。

50円玉。10円玉。10円玉。10円玉。5円玉。5円玉。

総額、90円。

ずいぶんとさびれたものであるが、とにかく、ここは乗り切った。今日はコインランドリー(200円)を折半して利用する予定だったが、もしATMがなかったら恥を忍んで立て替えてもらおう......

 

そんなこんなでバスに乗り込み、昼食(こっちはツアーの一部なので今財布の心配をする必要はない)の会場へ向かった。それにしても体がだるい。

 

つづく

 

EP1: ツアー初日 佐渡島へ渡れ

2019年8月30日、金曜日。東京は雨。

マンションのエントランスで登校班の集合を待つ小学生たちの視線にさらされながらバイクの輪行を済ませ、東京駅に向かった。
大嫌いな輪行に加えて雨、満員電車(平日朝の上りなので当然である、乗客の皆様にはご迷惑をおかけしました)でストレスは最高潮、もう心が折れそうだった。

乗り換えで2本ほど電車を見送り、改札の通過にてこずりながら(こちとら大荷物で広い改札ぐらいしかまともに通れないのにそれを反対から抜けてこようとする人間はどういう倫理観をしているのか)時間ギリギリに上越新幹線のホームにたどり着く。

🐊君はすでに到着していた(当然である)。新幹線も到着していた。

挨拶をかわし、乗車できるまで雑談でもしようと思ったが反応が芳しくない(僕らは基本的に相手の個人的な話に対して関心を示さない)ので会話もそこそこにドアが開くのを待って乗り込む。

 一番後ろの座席を予約したので、その後ろのスペースにバイクを置く。しばらくすると出発。本を読んだり、寝たりしているうちに、2時間ほどで新潟駅に到着(そういうわけで写真撮り忘れた)。新潟も雨。

 

昼食の駅弁を買って(新幹線はとっくに降車しているのだが)バスで佐渡汽船ターミナルへ向かう。ツアーから来ていた書類を持ってきていないことが発覚するも無事にチケットを入手。

自転車と一緒にフェリーへ乗り込み、12:35分、佐渡へ向けて2時間半の船旅が始まった。

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(船内こんな感じ)

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 (駅弁・たれかつ重。おいしい)

お昼を食べたあとはデッキへ。雨はだいぶ弱まっていた。

まだレース2日前ということもあり、気持ちにだいぶ余裕があるのでウキウキで写真を撮りまくる。なにしろ船に乗ったのは小学校6年の時以来、実に9年ぶりである(その時は25時間半の船旅であった)。

 

 

 

佐渡島を模したカレーなんてものもあり、辛口だったのでコーヒー用のミルクを投入して食した。

 

そうこうしているうちに到着。ツアーバスでホテルへ。

佐渡国トライアスロンは4日間の開催となっている(らしい)。大会1日目(8/30。A/B/Rタイプから見て2日前)の夜には、出場者は参加料無料の「島祭りParty」なるものが開催されるのであるが、僕らはそれに参加することになっていた。

 

うまい海産を食べ(いかめしがおいしかった)、地酒(おいしい)を飲んだくれ(カップの3分の1ぐらいしか飲んでいないが)、他の出場者やその応援の人々と交流を深め(僕は2-3人ぐらいとしか喋っていない)、レースに向けての英気を養った。

 

🐊君はスタッフのおばちゃん(地元の方だろう)のつけていた手ぬぐいを譲ってもらってご満悦。2ショットを撮ってもらい、同卓の他の出場者にも焚きつけられて「いやもう、ランのときこれ着けて走りますよ、見ててください」というようなことまで言いだした(後で頭につけるのは締め付けられてしんどいから首とかに巻いとこうとは言っていた)。

そんなこんなでパーティも終わり、ホテルへ。隣の酒屋でお菓子や飲み物を買ったり(二回買ったがキラカードは手に入らなかった)、f:id:Amed-Kusaka:20190906165621j:plain

風呂に入ったり、歯を磨いたり、今回の大会に合わせて購入したグリップをDHバーに装着したり。

 

そして布団へin。明日は受付と競技説明会とコースの下見、それから海鮮ランチだ。

 

つづく

はじめに

先日新潟県佐渡市で開催された佐渡国トライアスロンAタイプに出場してきました。というわけでその振り返りをしようと思う。f:id:Amed-Kusaka:20190906154311p:plain

 僕の所属する千葉大学トライアスロン部主将の🐊(アリゲーター)君と副将の僕の2名で、8/30-9/2の日程で実施された参加券付きツアーでの出場(ちなみにツアー代金は11万円ちょっと、高い......)。

佐渡国トライアスロンとは

トライアスロンに詳しくない人のために佐渡国トライアスロンについて応ざっと説明しておくならば、

・毎年9月初頭ごろに新潟県佐渡市で開催

・個人出場のAタイプ(今回出場したのはこれ)とBタイプ、3名で出場するRタイプ(リレーである)というみっつの出場タイプが存在している(厳密にはジュニアの部もあるのだがここでは割愛)

・距離はAタイプがSwim: 4.0km/ Bike: 190km/ Run: 42.2km

Bタイプ、RタイプはSwim: 2.0km/ Bike: 108km/ Run: 21.1kmf:id:Amed-Kusaka:20190906154442j:plainf:id:Amed-Kusaka:20190906154505j:plainf:id:Amed-Kusaka:20190906154516j:plain

で、Aタイプは2019年現在、国内最長の距離であり完走すると「アストロマン」の称号が与えられる

いった感じである。31回目の開催となる今年のAタイプは男女合わせて1008名が出場し完走者は734名(完走率72.8%)と天候に恵まれた割にはかなり低くなっていた(平年は80%前後であったと記憶している)。

 

話を戻して

 さて、ツアーの振り返りの前になぜ僕が書いたこともないブログなどというものを書こうと思い至ったのかという話をさせていただきたい。

僕が今まで出場してきたレースはほとんどがスタンダードなオリンピックディスタンス(Swim: 1.5km/ Bike: 40km/ Run: 10km)のレースであり、当然このような完走ブログを書こうということもなかった(書くことないし)。

その感覚で、今回の佐渡国トライアスロンへの出場が決まったときにはこういった形で自分の記録を残すということは露ほども考えていなかった。

のだが、さすがに天下の佐渡トライアスロンに出場するとあっては不安も大きく、ひたすら完走者の完走ブログを読み漁って情報収集とイメージトレーニングを重ねていた。

 すぐに、完走ブログの虜になった。

パワーワードに次ぐパワーワード

襲い来る圧倒的な密度の経験による情報量の暴力。

これは楽しい。こういう鈍器みたいな文章を書きたい。

こういうわけである。

 

 

 

こういうわけではない。本当のところは半分ぐらいだ。

もう半分は、僕のように初出場で右も左もわからないアストロ予備軍の皆々様の情報収集(多分大したことは書かないが)とイメージトレーニングの助けに少しでもなれば、という思いからである。

たいそうな前置きのわりに大したこと書かなかったが、こんな感じである。

このブログは基本的には身内向けの思い出話であり、これからロングトライアスロンに挑戦する人々へのはなむけなのである。

 

というわけで、次のページからツアーが始まります。ずいぶんと冗長な文章ですがお付き合いください。